2012年6月3日日曜日

「ムネオハウス」を擁護する〜エポニム



 フルブライト留学制度というのがある。戦後、日本の優秀な人々はこの制度を使ってアメリカの技術や思想を学んできたものだ。間違う人がいるのだが、フルブライト上院議員がお金を出した制度ではない。法案を出したのである。1946年に、フルブライト上院議員が「全世界を平和へ導く最も効果的な方法は人物交流である」と考え、広島への原爆投下からわずか2週間足らずのうちに交流計画事業の法案を議会に提出したものである。以後今日に至るまで、このフルブライト交流計画により日米相互の人物交流が支援され、フルブライター(Fulbrighter)と呼ばれる日本人約6500名、米国人約2000名が各界で活躍しているという。

 欧米では色々なものに個人名をつけるのが当たり前になっている。普通名詞になった人名� �は「サンドウィッチ」がもっとも有名だ。温度の「華氏」や「摂氏」がFahrenheitさんやCelsiusさんから来ているのもやや有名だ(「華」は中国語でファというためである)。

 言語学で地名などの人名語源は名祖(なおや"eponym")ということがある。例えば、「アメリカ」はイタリアの商人・探検家アメリゴ・ベスプッチ(Amerigo Vespucci 1454-1512)の名前に由来する("Amerigo"のラテン語名が"America")。コロンブスが発見した大陸はアジアの一部であるとコロンブスが信じていたときに、アメリゴがその大陸がアジアではないと主張したためにコロンビアにならずにアメリカになってしまった。観覧車のことを英語でFerris wheelというが、これは考案した人の名前ジョージ=ワシントン=ゲイル・フェリス・ジュニアという橋梁技師の名前から取られている。船の「満載喫水線」をPlimsoll lineというが、これは海運の規制強化に努力して義務付けたプリムソルという人の名前から取られている。

 日本語でも、【柄井】川柳、【宮崎】友禅、阿弥陀くじがそうだし、八百長(八百屋の長兵衛で店の上客である伊勢海という相撲の年寄と碁を打つ時に手加減した)、【成瀬川】土左衛門(力士)、出歯亀(出っ歯の池田亀太郎)、金時豆(坂田金時=金太郎)、金平ごぼう(金平=金太郎の息子)、のろま(野呂松勘兵衛=人形遣い)など人名から生まれている。あまり知られていないと思うが、八ツ橋は「六段の調(しらべ)」などを作曲した八橋検校の門下生が琴の形をした焼き菓子を作って、聖護院の参道で売り出したのだが、師匠の名前に由来している。新しい?ところでは「江川る」なんていうのがある。中国でも「包丁」が人の名前だったとされる(異説あり)。新しいところでは図書館や本屋に行くとトイレに行きた� ��なる「青木まりこ現象」というのがある。『本の雑誌』に最初に投稿した人の名前から採られている。

 面白いのは九官鳥で、「九官」という中国人が日本にこの鳥を長崎にこの鳥を持ち込んだ。その際、人間の言葉を真似することを伝えるために「この鳥は吾の名前を言う」と言ったのだが、「吾」を持ち込んだ人ではなく、鳥のことと間違って訳されたため「九官鳥」の名がついたという説が、『本朝食鑑』や『飼籠鳥』に見られ、通説となっている。

 出歯亀の話は誰でも知っているように英語では"Peeping Tom"という。ゴダイヴァ夫人の裸体をこっそり見たためである。

 料理の名前にも人名がつけられることが多い。日本では沢庵【和尚】、隠元【禅師】がある(沢庵は語源説が多い)。麻婆豆腐は顔に麻(あばた)のあるお婆ちゃんに由来しているとされる。マドレーヌ【メイドの名前】、ビーフストロガノフ【ロシア伯爵家の名前】、ドリア【イタリアの貴族・ドリア一族のためにパリのレストランが創作した料理】、マルゲリータ【ピッツァでイタリアの王妃から】、シャリアピン・ステーキ【オペラ歌手】などが思い出される。変わったところではドンペリというのは圧力のかかるシャンパンを詰める技術を発明した修道僧ドン・ペリニヨンから来ている。日本人が勝手につけたのはバイキング料理【北欧のスモーガスボードからの連想でカーク・ダグラスの映画から】、ジンギスカン料理【も� ��外国人が信長焼きとか作ったらどんな気持ちだろう】などがある。折り箱に稲荷ずしと巻きずしを詰めたものを「助六ずし」というが、歌舞伎の『助六』に登場する遊女「揚巻」にちなんだ名と伝えられる。「揚げ」(油揚げ)と「巻き」(のり巻き)である。

 勝手に名前を変えられることもある。モンキーレンチというのはCharles Monckyが発明した工具だが、いつの間にかmonkey wrenchになってしまった。しかも英語で"throw a moneky wrench/イギリス英語spanner in the works"というと「問題を起こして計画を邪魔する」という意味である。失礼な話である。

 裁縫に使う「待ち針」は「小町針」ともいうことがあるが、言い寄ってくる多くの男に小野小町がなびくことがなかったため、穴のない女と噂されたという伝説に基づき、穴のない針のことを「小町針」と呼んだことから来ているという。失礼な話である。

 火炎瓶をMolotov cocktailというが、1940年にソ連がフィンランドに侵攻した際のソ連の外相がモロトフで、こいつを追い出そうというのでつけられた名前だ。

 英語の人名を元にしたイディオムを紹介する。"Uncle Tom"(白人にへつらう黒人)、"every Tom, Dick and Harry"(猫も杓子も)、"Before you can say Jack Robinson"(あっと言う間に)、"Joe Bloggs"(名無しの権兵衛)、"John Doe"(身元不明の死体や不特定の男子/女子はJane Doe)、"Joe Public"(一般大衆)、"Mickey Mouse"(くだらない)、"mackintosh"(レインコートだが、本名はMacintosh)、"the real McCoy"(本物)、"gerrymander"(選挙区を有利なものに変える)、"maverick"(独立独歩の人)、"keep up with the Joneses"(見栄を張る)、"Bob's you uncle"(大丈夫)などで、やっぱり多い。

 毎日新聞「余録」(2008年4月25日)に次のような話が載ったことがある。博学というのはこんなことだろうと思う。

 余録:(2008年4月25日

 大きな金づちを「げんのう」と呼ぶのは、近づく生き物を殺してしまう殺生石を打ち砕いた玄翁和尚(げんのうおしょう)にちなんだものという。鳥羽上皇が寵愛(ちょうあい)した玉藻前(たまものまえ)−−実は九尾の狐(きつね)が妄執を残して石となったという栃木県那須町の殺生石にまつわる伝承だ▲能の「殺生石」では玄翁和尚はげんのうを振るうわけではない。里の女の姿をした石の霊と語り合い、言う。「あまりの悪念は、かえって善心となるべし。ならば衣鉢(いはつ)(仏道)を授くべし」。その玄翁が石に花を手向け、焼香して供養をすれば、それより殺生はなくなったという▲殺生石が近づく鳥獣を倒したのは主に周囲で発生する火山性ガスの硫化水素によるものといわれる。【…】

 他に有名なものをあげれば次の通りである。

 


ニューヨーク州では、どのように多くの選挙人票を持っているのでしょうか?
  • ボイコット(チャールズ・カニンガム・ボイコット大尉Charles Cunningham Boycottに由来し、19世紀後半のイギリスでは、折からの農業不況によって小作人との争議が頻発していた。1880年、アイルランドの土地差配人(土地管理者)ボイコット大尉も小作人らと争議になったが、その際に周囲の村人が総出で大尉との関わりを断ってしまった。それによって大尉は飢餓状態に追い込まれ、最終的に小作人らの要求を受け入れた)
  • サックス(1840年代にベルギーの管楽器製作者アドルフ・サックスAntoine-Joseph 'Adolphe' Saxによって考案された)、ホッチキス(機関銃の開発者)
  • レオタード(フランスの人気曲芸師ジュール・レオタールから)
  • ドーベルマン(19世紀末、ドイツのルイス・ドーベルマンが警備犬を交配)
  • ニコチン(1550年にタバコ種をパリに持ち帰ったフランスの駐ポルトガル大使ジャン・ニコJean Nicotに由来)
  • カルパッチョ(イタリアの画家が薄切りの生牛肉にパルミジャーノ・レッジャーノをかけた料理を好んだこととこの料理の肉とソースの配色と彼の作品に赤と白の色遣いが特徴的なものが多いことから)
  • カーディガン(クリミア戦争の名将として知られたジェームズ・トーマス・ブランデル=カーディガン7世伯爵(Earl of Cardigan)が考案、けがをした者が着易いように、保温のための重ね着として着られていたVネックのセーターを前開きにしてボタンでとめられる様にしたのが始まり)
  • コルト(拳銃だが、Samuel coltから)

 フランス語でもギロチン(ギヨタン)で有名だし、「低温殺菌する」「無菌化する」はpasteurizerというのは細菌学者パストゥールから来ている。フランス語は-erをつければ簡単に動詞ができるので、名祖語がとても多い。

 ちなみに科学では偉大な業績を残した研究者を讃えて、単位などに名前を使うことがある("eponym""eponymy"ということがある)。「ワット」はジェームズ・ワット、「ボルト」はアレッサンドロ・ボルタ、「ジュール」はジェームズ・ジュール、「オーム」はゲオルグ・オーム、「アンペア」はA・M・アンペール、「(ヘクト)パスカル」はパスカルというようになっている。ファラデーも「ファラッド」という電気容量の単位で残っているそうだが、聞いたことはない。日本でしか使わないが「レントゲン」というのもある。「サルモネラ菌」!

 新元素の名前を提案する権利は発見者にある。「国際純正・応用化学連合(IUPAC)」は、原子番号114と116の新元素の存在を認め、それぞれ「フレロビウム(Fl)」と「リバモリウム(Lv)」と命名する案を発表した。フレロビウムは、発見したロシアの研究所を設立した物理学者の名前から、リバモリウムは、米国の研究所がある地名から取られたという。

 余談だが、「スティグラー(Stephen Stigler)の法則」というのがあって、"No scientific discovery is named after its original discoverer."(どの発見も最初の発見者の名前を付けられることはない)というものだ。では、「スティグラーの法則」の第一発見者は誰だったのだろう?この法則で言えば、eponymが科学者の第一のご褒美だったという村上陽一郎(『社会人のための東大科学講座』講談社サイエンティフィク)は疑問がある。

 「人名反応」というのを知った。

 余録:ノーベル化学賞の2人(2010年10月7日)

 人類史上最も重大な化学反応の発見は空気中の窒素からアンモニアを作る方法を見つけたことだろう。それは植物の成長に必要な窒素を空気から肥料にできることを意味するからだ。20世紀の人口爆発はこの肥料革命なしに支えられなかった▲鉄を触媒にして窒素と水素を化合させるこの方法は「ハーバー法」と呼ばれる。その反応を発見したドイツの化学者フリッツ・ハーバーの名が冠されたのである。ハーバーはこの業績によって1918年にノーベル化学賞を受賞する。その名は化学の神殿に刻まれた▲しかし人名反応という言葉を知ったのは、鈴木章北海道大名誉教授と根岸英一米パデュー大特別教授がノーベル化学賞を受賞することになったといううれしいニュースを聞いてからだ。お二人は「鈴木カップリング」「根岸� ��ップリング」という化学反応の発見者だ▲人名反応とは有機合成化学反応のうち、その発見者の名が冠せられた反応だという。有機化学では多くの日本人研究者が活躍し、その名前のついた化学反応が少なくない。鈴木、根岸の両氏に対するノーベル賞の授与は、まさにその代表としての栄誉と思ってもいい▲このところ何かと意気の上がらない話柄が多かった世相である。まさか湯川秀樹博士のノーベル賞受賞が敗戦後の日本人を勇気づけた時代ではあるまいし‐‐と怒られそうなのは承知の上だ。ここは受賞に便乗して国民的元気をもり立てたくもなる久々の朗報である▲いや、応援団の勝手な盛り上がりは受賞のお二人には迷惑かもしれぬ。まずは化学の神殿から聞こえてくるその栄誉を刻むノミの音を心から祝福する。

 もう一つ、名前を付けられた人とは無関係の意味になることも多い。「プラトニック・ラブ」がそうだし、快楽主義者を「エピキュリアン」というのも間違っている。エピクロスは「ラテ・ビオサス」(Lathe biosas「隠れて生きよ」)を標榜した。彼が「放蕩者の快楽」と批判したアリスティッポスの方が快楽主義者だったのだが、誤解されるようになっている。

 だから、固有のものに個人名を記念してつけるのも当然のことだ。

 法案でいえば、公害規制の「マスキー法」や銃規制の「ブレディ法」などが有名である。「マスキー法」はマスキー上院議員が提案したからであるが、「ブレディ法」はレーガン元大統領の補佐官であったブレディがレーガン大統領を狙って犯人が撃った銃弾を受け、瀕死の重傷となったために、銃を規制するために作られたものである。

 ちなみに、アカデミー賞のオスカー像はちょっと変わっていて、誰かがオジサンのオスカーに似ていると発言したのがそのままになったという。

 すごいのは、広島に世界初の原爆を投下したB29爆撃機の機長ポール・ティベッツ大佐が重要な任務に選ばれたことを誇りに思い、母親の名をとって、その爆撃機を「エノラ・ゲイ」と命名したことだ。本人はこんな戦争犯罪に対して罪の意識を持たなかったから、母親の名前で残っていても誇りにしていた。

 フランス革命時代の医師ギヨタンは自分の名前が残ることを嫌った。処刑時の苦痛軽減という「人道的な」見地から断頭台の使用を提案しただけで、開発者は別にいるのに自分の名から呼び名がついてしまった。英語読みでギロチンである。本人は改称を求めたがかなわず、死後、やっと子孫に認められたという(宮本倫好『英語・語源辞典』筑摩書房)。

 もちろん、色々な施設に個人名を着けるのは当たり前で、ケネディの死後にジョン・F・ケネディ空港というのができたし、ケネディ宇宙センターもある。大統領の保養地キャンプ・デービットもアイゼンハワー大統領がその孫にちなんで名付けたものだ。


退役軍人上訴PTSD高血圧

 フランスへ行けば、シャルル・ドゴール空港があるし、イタリアではローマにレオナルド・ダヴィンチ空港、ミケランジェロ空港があったり、ガリレオ・ガリレイ空港がある。日本だって紫式部空港とかイチロー空港なんかできてもいいはずだ(と言っていたら、2004年に土佐空港が坂本龍馬空港ということになった)。パリのシャンゼリゼの地下鉄駅は「フランクリン・ルーズベルト」(ローズベルトが本当の読み方だが)という名前になっていて、ルーズベルトによってパリは解放されたのだと知る。日本で人名がついた名前は一畑電車北松江線「ルイス・C・ティファニー庭園美術館前駅」だった。だったというのは2007年3月で美術館が閉鎖したからだ。「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」が名前の長さで1位になったと思っ� �ら、「松江イングリッシュガーデン前駅」とタイ記録となった。何のこっちゃ。

 鹿島茂『パリ・世紀末パノラマ館』(角川春樹事務所)によれば、パリの「ヴァラス給水泉」という水飲み場があるが、フランスに帰化したイギリスの金満家リチャード・ウォーレス(フランス語ではリシャール・ヴァラス)が寄贈したものだが、ポンピドー・センターはポンピドーが寄付をした訳ではない。通りや駅などの公共施設に人名がついているのはごくごく当たり前のことだ。笑えるのは70年代まではヴェスパジエンヌという公共トイレがあったのだが、これは19世紀のセーヌ県知事ランビュトーが考案したものだった。ところが、みんな「ランビュトーの塔」と呼ばれるようになって名前を残すのはいいけれど、トイレは嫌だということになって、「ヴェスペジエンヌ」と命名した。これはある業者が新型トイレに、ローマ 時代に公衆便所に税金をかけたローマ皇帝ヴェスペジアヌスにあやかって「ヴェスペジエンヌ」と名付けたのに目をつけたからだといわれている。可哀相なのは同じセーヌ県知事のウジェーヌ・プベルで、パリからゴミをなくそうと努力したのだが、彼の功績を讃えて、ゴミ容器を「プベル」というようになってしまった。「アレクサンドル三世橋」のように、露仏同盟の成立を記念して、皇帝ニコライ二世に橋の定礎者になる名誉とともに、父親の名前を橋につけるというプレゼントとして命名される場合もあるのだ。

 これらを言語学では「あやかり」というが、故人にあやかるのは当然のことだと思われている。

 ロラン・バルトもその日本論『表徴の帝国』の中で、日本の通りには名前がないことを指摘している。欧米人には奇妙なことのようだ。これはやっぱり欧米の個人主義というか、個人の尊重のためだろう。映画名にしても、有名でもない人名がそのままの映画が多い。だから、日本ではイメージを大切にした邦題をつけざるを得ない(例外は『ランボー』で英語はThe First Bloodだったが、日本では「乱暴者」とひっかけて主人公の名前で売ったのだが、2からはアメリカでもRamboとなった=シリーズ化したせいでもある)。

 池内紀『世の中にひとこと』(NTT出版)に「道路の命名権」というエッセイがあって、次のように書いている。

 ヨーロッパの町々では、どんなささやかな小路にも名前がついている。それも「富士見通り」とか「マロニエ通り」といったイメージ名ではなく、歴史的な人名や日付、意味深い出来ごとに関連している。無数の道路、ひいては町全体が、過去を忘れないための「記憶装置」のつくりになっている。

 首都ベルリンにはゲーテ通りとともに「白バラ」通りがある。反ナチス運動で処刑された若者たちのグループにちなんでいる。

 無知というのは恐ろしいもので、四方田犬彦は『驢馬とスープ』(ポプラ社)の「土地の新しい名前」というエッセイの中で占領軍が東京の道路を命名していた時代のことを書いている。銀座の交詢社通りはセントピーターズ・アヴェニュー(分かるかな、サンクトペテルスブルグ通りということ)で、外堀通りはエムバシー・ストリートなどと決められていたという。そして、コソヴォでも、新しい地名がセルビア語を使わずに、パリの地下鉄の駅名になっていたという考察につながっていく。

 鹿島茂が翻訳した『パリ歴史事典』DICTIONNAIRE DE PARIS〈Fiero, Alfred〉にはマンフレッド・エが中世における通りの名を9つの型に分類していることを紹介している。ムネオハウスは最初の型になるが、現代ではこの型が一番多くなっている。

 

  1. ある個人ないしはある家系から取られた…ミシェル・ル・コント通り
  2. 宗教的な建物に由来する…サン・ジェルマン(ルーガ・サンクティ・ゲルマーニ)
  3. ある職業、商売が盛んに行われていた…エクリヴァン《代書人》、ヴェルリ《ガラス製造》
  4. ある種の住民集団に由来する…ブラン・マントー《白マント修道士》
  5. その場所に長い間あった何らかの特別なものから…エチューヴ通り《浴場》
  6. その街路が横切っている場所、あるいは街路が達する場所…ジャルダン通り、セーヌ通り
  7. 道そのものの外的な特徴から…パヴェ《舗石》、セルパント《蛇=曲がりくねっていた》
  8. 会社や商店の目印があることから…コロンブ《ハト》通り、コキイェール《貝殻》通り
  9. いかがわしい連中が出入りすることに由来…モデトゥール《悪所への寄り道》、グラットコン《女性のあそこを擦る》、トラス=ピュタン《娼婦の足跡》

 もっとも、最近、アメリカでは名前を売る商売もある。イチローのシアトル・マリナーズの本拠地セーフコ・フィールドというのはSafecoという保険会社が名前を買っているのであって、作った会社名でも、所有している会社名でもない。日本でもいつかきっとこんな商売が生まれるはずだ。いや、「巨人」を「読売」にしようという正力松太郎の心も知らないオーナーがいるくらいだから、東京ドームなんかもすぐに名前がつけられるだろう。

 ただ、誤解してはならないのは施設に名前をつけるのはかなり一般的なのだが、地名となると違うらしい。楠原祐介『こんな市名はもういらない!』(東京堂出版)には何と「アメリカでは大統領名も有名野球選手名も地名にはできない」という項目がある。アメリカ合衆国連邦地名局は生存者の人名はおろか死後も10年は地名として認定しないという。地名局が発行する「地名集gazetteer」に記載されないから、地図や道路標識その他には使えない。楠原は確認していないが、この規定は第35代大統領ジョン・F・ケネディに関連して新設されたものかも知れないという。

 ケープ・カナベラルは1962年にケープ・ケネディを名乗っていたが、翌年、ケネディが暗殺され、1973年には元のカナベラルに戻っている(ケネディ宇宙センターはそのまま)。

 アメリカではすったもんだの上に野球選手ピート・ローズにちなんだ通りができたそうだが、ローズが事件を起こしてすっかりイメージを悪くしたという。

 考えてみれば、田中角栄にお世話になったからといって「角栄通り」というのをつけても、後悔するばかりだ。人名だが、角栄にちなんで「角栄」と名付けられた子どもがイジメられるという理由で、改名が許されたこともあった。

 どうやら、地名と施設名を分けて考えなければならない。


オーストラリアの上院家の中でどのように多くの人々

 ただ、現代日本は特に政治家に対して寛大ではない。エポニムが流行らないのは、人をリスペクト(「尊敬」と訳せない)する気持ちがちょっぴり足りないからだ。19世紀アメリカの思想家エマーソンの「どんな英雄も最後には鼻につく人物になる」という言葉が日本だけで生きている。

…でもこのかつての大統領【ニクソン】の死は、一般のアメリカ人にとっては思ったより---我々日本人が想像するより---大きな意味合いを持っていたようである。彼の葬儀の日には公立学校や官庁や銀行が休みになり、郵便配達もお休みで、まあいわばみんなが静かな喪にふくしたわけだ。大統領在任中はたしかにいろいろあったけれど、最後ぐらいは黙って許してあげようじゃないか、和解しようじゃないか、という心情が世間の大勢を締めていたようだ。

 ところでその後でニクソンの死を報じる雑誌を読んでいたら、彼が日頃口にしていたというこんな言葉が載っていた。

"Always remember, others may hate you, but those who hate you don't win unless you hate them."
「このことをよく覚えておきたまえ。もし他人が君を憎んだとしても、君が相手を憎み返さないかぎり、彼等が君に打ち勝つことはないんだよ」

     -----村上春樹『村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた』(新潮社)

  茂木健一郎の『プロフェッショナたちの脳活用法』(NHK生活人新書)に「イデミ・スギノ」というお店を持っているパティシエの杉野英実の言葉が載っていた。

「フランスではオーナーシェフが自分の名前を店名につけることがよくあります。その理由を師匠のペルティエに訊ねたら、「自分がつくったものに責任を持つという意味だ」と教わり、そのとおりだなと思ったんです。自分の名前を店につけるということは、常に自分を厳しくするという決意表明であり、僕も「つくったものはすべて僕が責任を持ちますよ」という気持ちをお客さんに伝えたかったんです」

  そうだよな。うちの近所に「どん底」という名前のレストランがあったけど、誰も責任を取らないでつぶれていったもんな。

 『ファイナル・カウント・ダウン』という映画は現代のアメリカ海軍の原子力空母ニミッツが真珠湾当時にタイムスリップするお話なのだが、この中で戦艦アリゾナの艦長が「敵艦」の名前がニミッツだと分かると、「どうして現役の将軍の名前を付けた船があるんだ!」と叫ぶシーンがある(♪いざ来い ニミッツ マッカーサー 出てくりゃ地獄へさか落とし……「比島決戦の歌」西条八十作詞・古関裕而作曲)。アメリカでは功労のあった将軍の名前をつけるのはごく当たり前になっている。もちろん、ジョン・F・ケネディという空母も2003年7月にはロナルド・レーガンという空母もできた(さすがに存命中の大統領の名前がついたのは初めてだったが、すでにレーガンはアルツハイマー病にかかっていてこれ以上、評判を落 とすことがないと判断されたのだろう)。

 そうや、日本の南極観測船に「しらせ」というのがあって、これは人名からとっているのではないか!?という人がいるかもしれない。

 「宗谷」や「ふじ」の後の観測船の命名にはどうしても南極探検のパイオニアである白瀬矗(のぶ)中尉の名前を付けたかったのだが、個人名をつけることができなかった。

 旧海軍の(海上自衛隊は少し違う)の命名の基準は次のようだった。「宗谷」は特務鑑だったのを後に砕氷船に活用したものだ。

 戦艦    国(旧国名)  【例】大和、武蔵
 巡洋戦艦  山       【例】金剛、比叡
 一等巡洋艦 山       【例】妙高、高雄
 二等巡洋艦 川       【例】天竜、利根
 練習巡洋艦 神社      【例】香取、鹿島
 砲艦    名勝旧跡    【例】宇治、伏見
 一等駆逐艦 天象気象 昭和18年より草木を追加 【例】吹雪、陽炎
 二等駆逐艦 植物      【例】楢、樺
 水雷艇   鳥       【例】千鳥、鴻
 海防艦   島       【例】占守、御蔵
 潜水艦   記号+番号 (記号は、一等:伊、二等:呂、三等:波)
 航空母艦  漢成語(瑞祥の動物) 昭和18年より山を追加 【例】鳳翔、翔鶴
 水上機母艦 和成語、旧名襲用  【例】千歳、秋津洲
 潜水母艦  漢成語(鯨)  【例】大鯨、長鯨
 特務艦   岬、海峡、瀬戸 【例】明石、間宮

 この「しらせ」というのは実際には文部省が命名したのだが、白瀬中尉の名前からとったのではなく、昭和基地の近くにある白瀬氷河からとったのである------ということにしている。

 2001年に宇和島水産高校の実習船と森内閣を沈めた原子力潜水艦グリーンビルの名前は部品の一部がグリーンビルという小さな街で作られたことにあやかっているという。日本では考えられない命名だ。

 軍艦の名前で思い出すことがある。原子力空母エンタープライズが初めて日本に寄港した時、大騒ぎになったのだが、高校の教師が「"エンタープライズ"というのは"金儲け"という意味で、アメリカは金儲けで戦争をしている」と話した。

 大学に入ってからよく調べてみると「やる気満々」とも書いてあるではないか!?

 「やる気満々」の戦艦と大和だの武蔵だの、優雅な名前をつけた戦艦とが戦って勝てるはずがない。

 2008年2月に最新鋭のイージス艦「あたご」が漁船に衝突して2名の死者を出す事故があったが、「あたご」は舞鶴が母港で、京都府にある愛宕山から名前を取っている。大体、落語のネタから名前を取るようでは間違っている。

 外国ではこうして個人にあやかって命名をする。だから、鈴木宗男衆院議員が自分の奔走した施設に名前を付けてもらっていることは不思議ではない。本人がつけなくても、ロシアの人が愛称で呼んでいるのだろう。

 確かにアフリカにあるというスズキ・ホールというのも問題かもしれないが、スズキというのは一般的な日本人の代名詞になっていて(実際、日本人はみんな鈴木だと思われている)、日本人が建てたホールだということを記念しているということができる。

 日本に個人主義が発達しないのは、こうした名前を施設につける習慣がないことも一つの理由である。もっと、個人名をつけるべきである。

 幸い、東大には安田善次郎が寄付した安田講堂があり、富山大学にも黒田講堂がある。元は池としか呼ばれていなかったのに漱石のおかげで三四郎池というのも生まれている。なんなら、東京大学という殺風景な名前より、「利家とまつ大学」なんてしゃれた名前にしたらいいかもしれない(前田家の敷地に建てられた)。


 僕だって、定年になった時に、富山商船高専にタワーを寄付して「欣二塔」という立派な名前をつけたいと願っている。犬がおしっこをするだけかもしれないが、名前を残したいと思うものだ。東京タワーが安かったら、そちらでもいい。

 その意味で、鈴木宗男は個人主義を大切にするという思想の先駆者であった。

 日本では個人が前面に出ることは控えられる。本当は前に出たい人がいっぱいいるからかもしれないし、無傷の政治家などいないからかもしれない。お札も昔は政治家が印刷されていたが、文化人に変わっている。

 ノーベル平和賞をもらった人だって、後に委員会から間違いだったという発言が出るくらいだ。

 考えてみれば、文学だって匿名性が高い。「私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない」というのは漱石の『こころ』だし、吾輩には名前がないし、坊ちゃんだって名前がない。他の小説家だって同じようなもので、これは現代の村上春樹まで変わらない。

 外国の小説を翻訳する時だって、『男の一生』(『デヴィッド・コッパーフィールド』の最初の訳)などとされる。逆に、『細雪』では物足りないので、外国では"Makioka Sisters"というように名前がタイトルになる。

 世界のホンダを作りあげた本田宗一郎は最後まで会社名に自分の名前を付けたことを悔やんでいた。

 フルブライト上院議員もフルブライターたちが感謝のパーティを開いても誰も文句はいわなかった。

 鈴木宗男とフルブライト、二つの間の大きな違いは、本人と名前をつけた人々の志の高さ、低さである。

 日本には岐阜羽島駅をはじめ、政治駅、政治路線がいっぱいある。下手に名前を隠すより、大野伴睦駅としておいた方が日本の民度を推し量るのに有益だと思う。別に利権を使っているのは鈴木宗男だけではない。86年に渡辺美智雄自民党政調会長は「野党に投票する人は知能指数が高くない。毛ばりで釣られた魚と同じだ」といったが、与党の釣り竿にはエサがついているということだ。前回の選挙でW衆院議長が新湊だけでトップ当選とならなかったことで、地元新聞は「新湊大橋の実現が遅れる可能性がある」と書いた。自民党だけでなく、どの党もやっていることだ。田中眞紀子は「30年遅れてきた政治家」鈴木宗男を責めるけれど、その30年前にはお父さんの田中角栄がやっていたことだ。

 同じような利益誘導型の政治をしているのに、ムネオハウスがどうしてこんなに問題になったのだろうか?それは個人名を出さない日本文化を破ったからだったのである。

 是非、宗男ハウスはそのままに、熊が走っているという高速道路も鈴木自動車道とした方が、ああ、ここで都会の税金が使われている!ということを報せるのに、きっと役立つと思う。

【初掲:2002年2月28日】


※お願い

 2月27日放送のテレビ朝日「ワイド!スクランブル」に生出演した歌手、松山千春(46)が、後援する鈴木宗男衆院議員(54)を擁護する発言を繰り返したことで、28日までに同局へ200件を超す抗議が相次いだことが分かった。ヒステリックになる国民性には困ったものだ。

 それに、外交は票にならないというのに外交族として努力した部分もある。杉原知畝の名誉回復にも尽力して記念館の名誉館長になっているという。ハリウッドで知畝の伝記映画が作られるそうだが、是非、鈴木宗男には出てもらいたい。無理なら関西のタレントにお願いすればいい。

 ゴルバチョフが額に北方四島をつけて来日した時に、返還してもらえなかったのは日本外交の怠慢である。だから、北方四島が今の与党で返還できたら、それぞれ、自民島、公明島、保守島、宗男島と名前をあげてもいいと個人的には思っている。どうせなら、島の論理で動いている党の方を自民島などと変更した方が早いかもしれない。

 僕のところへは抗議しないでくださいね。松山さんにどうぞ。

《付録》ムネオはどうして「人気」があるか?

 鈴木宗男は2002年3月に人気が沸騰している。おかげで週刊誌もよく売れ、テレビの番組の視聴率も上がっているそうだ。田中角栄とか歴代の「疑獄」(政治にからむ大規模な贈収賄事件)と違って、そんなに大物ではなさそうだ。「疑惑のデパート」と呼ばれているが、「疑惑の専門店」みたいな人も多いのではないかと勝手に思う。でも、鈴木宗男は「ワイドショー内閣」の中で見事な悪人ぶりを示している。出演料をもらってもいいくらいだ。

 どうしてこんなに人気があるか?

 別に僕が考えなくてもいいのだが、実は周りにムネオがいっぱいいるからだと思う。ムネオというのはどういう人かと定義すると、色々なところに口を出し(時には恫喝し)、自分のエラサを誇示し、実は怪しげに生きている人である。

 僕の職場にはいないが、妻の方の関係者にはいろいろいる。差し障りがあるので、今はとても書けないが、例えば、地方の大学教授で「文化ボス」になっているような人がいる。さまざまなことに自分の意見を通し(時には恫喝し)、自分が中心でギョーカイが回っていると勘違いしている。

 つまり、ミニ・ムネオにイジメられている人たちがいっぱいいて、今度のことで快哉を叫んでいるのである。


※3月15日に鈴木宗男は自民党を離党することにして会見をした。涙を流して「私はムネンオだ」と叫んだ。

 そうこうしているうちに「疑惑の総合商社」と呼んだ辻元清美が秘書問題で議員辞職に追い込まれ、この余波で加藤紘一が議員辞職に追い込まれた。発端だった田中眞紀子も秘書問題で追求されるようになり、井上参議院議長までも秘書問題で辞任して、「ドミノ国会」となった。

 今のところ、ムネオ議員は辞める予定がないので、今のところ、「総合勝者」だ。

 2002年6月19日ムネオ議員は逮捕された。法務省が国会に示した逮捕許諾請求の理由によると、98年8月、後援企業の製材会社「やまりん」(北海道帯広市)から現金500万円を受領。同社が国有林を無断伐採して林野庁の行政処分を受けたことに関し、処分終了後に同社が相応の林産物を購入できるよう、働きかけを頼まれたとされる。逮捕する理由については「(在宅では)罪証隠滅の恐れが大きい」などと説明している。これに対して鈴木議員はやまりんから不正な請託を受けたり、林野庁にはたらきかけたりしたことはないとして、容疑事実を全面的に否定。検察の捜査は「不当だ」と主張している。

 そして、翌20日、自民党は田中眞紀子に2年間の党員資格停止処分を出した。

 ムネオ議員は2005年の郵政解散で復活。

 この年、アメリカ軍は横須賀に初めて原子力空母を配置することに決めたのだが、当初考えていたトルーマンでは被爆者をはじめとする日本人の感情を逆撫ですると考えて、空母ジョージ・ワシントンに代えることにした。人名をつけるとこうした問題が派生する。



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