2012年5月12日土曜日

(2) 日本国憲法の制定とその特色


前回の講義で、大日本帝国憲法について学習した。その際、その内容の不十分さから軍国主義を許し、太平洋戦争へ突き進んでいったことも同時に学んだ。さて、本講義では、その太平洋戦争末期のあたりから話を進めよう。

T:日本国憲法の制定

<終戦まで>

日本は、1941年12月8日、陸軍はマレー半島へ、海軍はハワイ真珠湾へ奇襲攻撃を開始し、太平洋戦争へ至る。当初の戦局は日本優勢であったが、ミッドウェー海戦敗北を境に、1942年後半より、制海権・制空権をアメリカに奪われ、しだいに不利になっていく。その後は、頑として国体維持すべく、戦局不利の中、米軍の攻勢に徹底的に抵抗を続けていくこととなる。主力軍艦を失っても 、武器・物資が不足しても、兵士が不足しようとも、国民には節制を呼びかけ、学生や女子を軍需産業に動員し、果てには、戦場では神風特攻隊や人間魚雷など命の尊さをまったく無視した愚劣な作戦までも登場した…。そして、1945年3月、ついに日本に米軍が上陸する。沖縄戦の悲惨さや現地民が味わった惨事については、後に機会があれば詳しく語りたい。そして、なおも降伏しない日本に対して、1945年7月26日、いよいよ連合国側が即時無条件降伏をせまるポツダム宣言をつきつけた。内容は大まかに挙げれば次のようなものになる。

連合国側への即時無条件降伏の要求、軍国主義の除去、戦争犯罪人の処罰、民主主義の復活強化、これらの目的達成のための改革実行のため連合国側が日本を占領、などなど。

ちなみに、ポツダム宣言はアメリカ(トルーマン)、イギリス(チャーチル)、中国(蒋介石)の名で発せられている。この1945年7月の時点では、ソ連は日ソ中立同盟を破棄していないので、日本と戦争をしていない状態であるわけだから、降伏をせまるポツダム宣言に名を連ねることはおかしい。したがって、ポツダム宣言は米・英・ソではなく、米・英・中により発表されたわけだ。もっとも、その後間もなく、ソ連は日ソ中立同盟を破棄し、日本領へ進出を開始することになる。したがって、それ以後の戦後処理関連の文書や会議にはソ連も名を連ねることになる。いずれにしても、ポツダム宣言は、国体護持、つまり天皇制維持を貫き通そうとする日本が、受け入れられる内容では到底なかった。連合� ��が日本を占領し、民主主義改革を断行すれば、当然ながら天皇制は解体されるであろうという懸念があった。そして、日本はポツダム宣言を無視して勝ち目のない戦争を続行した。米軍は、ポツダム宣言を黙殺した日本に対し、一刻も早い即時降伏を迫るため、同年8月、開発したばかりの原子爆弾を使用することになる。8月6日、広島に原爆投下、8日にソ連が参戦、9日に長崎に原爆投下。こうして、抵抗し続けることが不可能であることを認めた日本は、8月14日、ポツダム宣言を受諾した。この時点では、ポツダム宣言は米・英・中・ソの4カ国が名を連ねていることになっている


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<日本国憲法の誕生>

ポツダム宣言受諾後は、軍国主義を解体し、民主主義国家へ改革すべく、日本を連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が占領統治する。当然ながら、ポツダム宣言の内容を実現しようとするならば、天皇主権主義の大日本帝国憲法では不可能である。そこで、1945年10月、GHQの最高司令官ダグラス=マッカーサーは日本政府に対して憲法改正を指示する。この指示を受けた日本政府はどうしたか?当時の幣原喜重郎内閣は、憲法問題調査委員会を設置、国務大臣の松本烝治を委員長とし、彼を中心に政府草案の作成を始めた。そして、翌1946年2月に委員会は新憲法の草� ��をまとめ上げるのだが…。通称、松本草案と呼ばれるこの憲法草案の内容は…、はっきり言って旧憲法と大きな変化はなかったのだ。ところどころ語句や表現を変えているだけで、「天皇が統治権の総攬者」という位置付けは変えていない。民主主義の国へ改革しようと憲法改正を指示したのに、出来上がった草案がこれでは、GHQが納得するはずがない。GHQは松本草案を拒否し、逆に、独自のマッカーサー草案を日本政府に提示する。日本政府は不本意であっただろうが、仕方ない、負けて占領されているのだから反発はできない。ただ、マッカーサー草案には「天皇制の存続」が明記されていたことには、日本側は胸をなでおろしたことであろう。本題からは少々ずれるが、旧憲法下で天皇� �主権者であったにもかかわらず、東京裁判において戦犯扱いにはならなかったし、新憲法においても天皇制の存続が認められた。なぜマッカーサーはこれを認めたのか?実は、敗戦直後の日本において、世論は圧倒的に天皇制維持を支持している。太平洋戦争に大敗し、天皇の人間宣言が発表されても、なお日本人の心には天皇が精神的支柱として残っていた証拠である。この現状を認識したマッカーサーは、天皇を戦犯として処理し、強引に天皇制を解体することに危険性を見出していた。天皇制を否定すれば、日本国民が混乱し、場合によっては大規模な反乱や地下活動も想定され、GHQの占領統治は行き詰まるかもしれない…、と。当時、すでにソ連との対立(冷戦)激化がほぼ避けられないことは明らかであり、そのような中で、日 本に大規模な軍勢を駐留させておくことは避けたいところであった。占領統治や戦後の民主化改革を極力小さなエネルギーでスムーズに進めていくためには、日本国民の理解を必要とする。そのために、天皇制の存続は譲歩せざるを得ないものであったし、またマッカーサー自身も占領統治に天皇の日本国民に対するカリスマ性を利用しようとしたことは間違いないだろう。それに、主権者として君臨させるのではなく、象徴として、あくまで本来の立憲君主としての姿で残すのであれば、民主化の妨げになるわけでもない。こうして、マッカーサー草案には、日本政府の意向を考慮して、天皇制の存続が盛り込まれていたのである。

さて、話を戻そう。このマッカーサー草案を日本政府は持ち帰り、議会の審議にかけることになる。 もっとも、占領されている身分だから、この案に大胆に反対することはできないのだが…。1946年6月から第90回帝国議会が開かれ、ここでマッカーサー草案が審議される(これが旧憲法下の最後の帝国議会となる)。また、この第90回帝国議会は、直前に衆議院で初の男女普通選挙が実現しているため、女性議員の顔が並ぶなど、それまでとは違った雰囲気の議会であったことも忘れてはならない。ここで、多少の修正を加えて(とはいえ、第25条の生存権が追加されるなど、非常に画期的な追加修正もある)、1946年11月3日、日本国憲法が公布された。そして、国民に半年間、新憲法の内容を知らせるための猶予期間を設け、1947年5月3日、施行に至る。

<� �談・東京裁判と靖国問題>


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ポツダム宣言には戦争犯罪人(戦犯)の処罰という内容が盛り込まれている。この宣言を受け入れたということは、日本側の戦争指導者や戦争遂行に関わった重要人物は、連合国側に裁かれることになる。A級、B級、C級戦犯全てを合わせれば、起訴された者は数千人に及ぶとされる。そのうち、侵略戦争の首謀者として「平和に対する罪」に問われたA級戦犯は28名。彼らを裁くべく、1946年5月から、連合国側が主催する極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判が市ヶ谷(現在は防衛省)で開かれた。そして、その中の7名が死刑(絞首刑)となった。死刑となったのは、東条英機をはじめとする軍人たちが中心であったが、その中には文民の� �田弘毅(第32代首相)も含まれていた。もっとも、この東京裁判については、戦勝国が敗戦国を裁くという構図から、審理の公平性に対して批判的な見方が多い(インドのパル判事などの主張を参考にせよ)。要するに、日本側が連合国側に一方的に裁かれたという主張である。罪刑法定主義が貫かれていなかった、国際条約が現在ほど整備されていない中での裁判であった、日本を裁くのであれば原爆を投下したアメリカも同時に裁かれるべき、、、など。ここでは、あくまで講義なので、この裁判の正当性について議論するつもりはないので、A級戦犯がこのようにして連合国側によって裁かれた裁判が戦後直後の東京で開かれ、7名の者が絞首刑になったという歴史の事実を伝えるに止めたい。なお、太平洋戦争とその後の東京裁判を� �材にした小説として、山崎豊子の『二つの祖国』がある。彼女の代表作、中国残留孤児を主人公として描いた『大地の子』とともに、是非薦めたい本だ。


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ところで、東京九段にある靖国神社がどのような神社であるかは知っているだろう。明治以後、日本のために戦って、戦死した者を、崇敬の意味を込めて合祀している神社である。古くは戊辰戦争、明治政府軍VS旧幕府軍(賊軍)の戦いにおいて、旧幕府軍の勢力制圧のために戦って命を落とした政府軍の兵士たちの霊が祀られているし、その後、繰り返し展開されていく対外戦争で命を落とした人々も祀られている。当然、太平洋戦争で戦死した兵士たちも同様である。では、なぜそのような神社に首相らが参拝するたびに問題となるのか?過去に三木首相や中曽根首相など多くの政治家が参拝をしている。そして、近年は小泉元首相が首相在任期間中に毎年参拝を続けたことはよく知 られている。しかし、そのたびに中国や韓国からの反発を招いた。日本ために戦って死んだ人々を祀ってある靖国神社に参拝し、彼らに祈りを捧げるとともに、その霊を前にして今後二度と戦争などを繰り返してはならないと誓うことが、なぜ問題となるのか。実は、先ほど述べた東京裁判において連合国側に処刑されたA級戦犯たちが、1978年に「昭和殉難者」、すなわち国家の犠牲者として合祀されたのである。本来は、戦場で命を落としたものを対象としているが、これは例外的であった。要するに、戦勝国(敵国)による一方的な裁判で死刑が宣告され、命を落とした彼らもまた太平洋戦争の犠牲者であるという観点からであろう。いずれにしても、A級戦犯が合祀されてしまった以上、靖国神社を参拝するとい� �ことは、国家の犠牲者に祈りを捧げると同時に、侵略戦争首謀者たちにも頭を下げることになる。特に、中国や韓国は日本の侵略を直接受けた国である。その侵略行為を計画し、実行した者たちが祀られている神社に、その国のリーダーが参拝するということは、中国人や韓国人から見れば、過去の侵略戦争を正当化、あるいは美化していると映るのも無理はない。だから、日本で首相などが靖国神社を参拝するたびに、中国や韓国政府は、過去の歴史に対する認識や歴史教科書問題なども合わせて持ち出してきて、日本政府を激しく批判するのだ。5年に及ぶ小泉政権の外交について、対アメリカについては、過去に類を見ないほどの良好な関係を築くことができたと評価される反面、アジア外交については、首相になる前に公約 していた「毎年靖国参拝」を実行し、その結果、非常にお粗末なものとなっていまい、外交センスを疑うとまで酷評された。また、靖国問題は、中国や韓国の反発など対外的な話題がクローズアップされるが、実は問題はそれだけではないことも知っておこう。詳しくは基本的人権の講義で話すが、一国の政治のリーダーたる首相が特定の宗教施設に参拝するということは大きな問題なのだ。日本は憲法で「信教の自由」を保障している。神道、仏教、キリスト教、イスラム教、どんな宗教を信仰しようが、それは個人の自由である。逆に、信じたくもない宗教を強制させられることはない。また、政府が特定の宗教を保護することも禁じているし、政府の宗教的活動も認められない。それをやってしまうと信教の自由が崩� �る危険性があるからだ。そのような「政教分離」規定が憲法にあるにもかかわらず、政治のリーダーが神社という神道施設に参拝することはいかがなものか、という問題である。仏教徒やキリスト教徒から見れば、政治家がそのようなことをしていたら気分を害するであろう。日本国民の宗教観は多様である。国民の代表者たる政治家は宗教的に中立でなくてはならない。だから、宗教施設に公的に出入りすることは望ましくない。小泉元首相の在任期間中の靖国参拝に対しては、大阪や福岡などで、反発した団体が、違憲性をめぐり訴訟事件を起こした。念のため、高度な政治的話題であるので、その賛否を講義の中で議論するつもりはない。A級戦犯合祀とは、靖国問題とは何かが理解できればそれで結構である。この問 題に対してどのような意見を持とうが、それは個人の自由である。

U:日本国憲法の基本原理

【日本国憲法の三大原則】

@国民主権  A基本的人権の尊重  B平和主義

<国民主権>

【憲法第1条】

天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する国民の総意に基く。



旧憲法では、天皇は主権者であった。政治的権力も軍の指揮権も、すべてが天皇に集中していた。それが結果的に、日本を誤った方向へ向かわせてしまった。そのような反省から、日本国憲法では、主権者は国民一人ひとりであることを規定。では、天皇の地位はどうなった?第1条に書かれている通りだ。このような規定があって初めて「立憲君主制」の確立といえよう。日本の君主も、これにてようやく「君臨すれども統治せず」という立場に置かれることとなった。なお、旧憲法が欽定憲法であったのに対して、日本国憲法は、前文を見てわかる通り、国民自らが主権者として定めたという形をとる民定憲法だ

旧憲法下と違い、天皇は政治的権能を一切持たなくなった。では、天皇は政治的局面で何ができるの� �?第7条に、国家の象徴にふさわしい形式的・儀礼的な国事行為を行う、と規定されている。形式的行為とは、国会や内閣で決定したことを形式的に認める行為である。具体的には、首相や最高裁判所の任命(指名ではない!任命とは、事前に選ばれた人間を形式的に認めるだけ)、国会の召集や解散の宣言などだ。天皇はこのような行為に際しては、拒否権はなく、また自らの意志で行うこともできない。必ず「内閣の助言と承認」のもとで行うこととなる。また、儀礼的な行為とは、外国高官の接受や、儀式などのことだ。

<基本的人権の尊重>

【憲法第11条】

国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。


市民革命期に誕生した自然権思想に立つ人権保障がしっかりと達成されている。旧憲法下ではどうだったか?国民の人権は、天皇が恩恵的に与えたものであった(臣民の権利)。また、憲法で保障してあっても、法律を立てて制限することはいくらでも可能であった(法律の留保)。日本国憲法では、人権は永久不可侵である。公共の福祉に反しない限り、法律によっても制限できない。日本国憲法が我々にどのような権利を保障しているかは、基本的人権の講義のところで詳しく扱いたい。

<平和主義>

【憲法第9条】
  1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  2. 前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認を記している。天皇の統帥大権を利用して、軍部が暴走し、国内外に大きな迷惑・被害をもたらしたことに対する反省の念が込められている。ただし、承知の通り、冷戦下の緊迫したアジア情勢を背景に、アメリカの指示により、自衛隊(当初は警察予備隊と呼んだ)という組織が創設され、強化されながら現在に至っている。戦力不保持の「戦力」がどの程度のものを指すのかは議論されるところである。詳しくは平和主義の講義で扱いたい。なお、「前項の目的を達成するため」という一文は、マッカーサー案にはなく、帝国議会での修正時に加筆されたものと言われる。この一文があるとないとで、解釈がどう変わるか、考えてみよう。

また、旧憲法下では、� ��軍大臣・海軍大臣が現役軍人で占められ、天皇の名において暴走してしまったことに対する反省から、日本国憲法では、第66条で「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなくてはならない」と定めている。憲法制定後に自衛隊が誕生することになるが、自衛隊の指揮監督権は、文民である内閣総理大臣にある。このように、軍の指揮権を非軍人の文民が持ち、軍の暴走を防ぐシステムを文民統制(シビリアンコントロール)という。

V:日本国憲法の位置付けと改正規定

【憲法第98条】

この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。



憲法を国の最高法規として位置づけ、立法や行政は、その憲法の内容の範囲内で実行されるべきと規定している。憲法の内容に反するような立法や行政は効力を有しない、と。このように、憲法を基礎にした法の支配を明確化している。なお、最高法規である憲法に反した立法や行政が公然と行われないように、日本では、裁判所に違憲審査権を認めている

このように最高法規として位置付けている憲法といえでも、社会情勢の変化により改正の必要も生じる場合がある。憲法制定から何十年も経てば、制定当初と比較して社会は大きく変化するであろうし、当初は考えてもいなかった問題も起こってくるだろう。したがって、最高法規とは言っても、一度制定されたものは二度と手を� �えることができないわけではなく、社会情勢に応じて修正していく必要はあろう。ただし、このような位置付けの憲法をみだりに改正することは社会的混乱を招く恐れがあるため、その改正には特に慎重でなくてはならない。改正手続を一般の法律制定(普通は多数決の原理で過半数の賛成でよい)よりも特に厳しく定めている(議決のハードルを高くしている)憲法を硬性憲法という。日本はもちろん、世界の多くの国は硬性憲法のスタイルをとる。

日本国憲法の改正手続は以下の通りである(第96条)。まず、改正案を作成し、衆参各議院で総議員数の3分の2以上の賛成があれば、国会が憲法改正を国民に発議する。そして、国民投票にかけ、過半数の賛成が得られれば、天皇が� ��民の名で公布することとなっている。

憲法改正に関して、憲法条文では以上のことしか書かれていない。特に国民投票については憲法では詳細に触れていない。過半数の賛成とは言っても、それは有権者数全体の過半数なのか、それとも有効投票の過半数なのか。前者と後者ではだいぶ違う。また、そもそも国民投票の対象は、選挙権と同じく20歳以上なのか、それともこれは選挙ではないから18歳以上に認めてもよいのか…。いずれにしても、憲法改正が発議され、国民投票を実施するにあたっては、その詳細のルールを定めた国民投票法なるものを先立って定めておく必要がある。その国民投票法が成立したのは2007年、2010年より施行。あまりに遅い動きである。このことからもわかるとおり、日本国憲法は過去に� �正された経緯がないのだ。その制定過程から、「アメリカが作成した憲法」、「アメリカに押し付けられた憲法」と皮肉られながらも、制定から60年が経過した現在に至るまで、日本人の手によって修正が加えられたこともなく、まったくそのままの形で存在している。各国が硬性憲法の形をとるとはいえ、60年も変わらない憲法は逆に珍しい。もっとも、自民党に代表されるように、「自主憲法を」と主張する人々は多い。しかし、衆議院と参議院ともに3分の2以上の賛成を得なくてはならないというハードルは予想以上に高い。55年体制時代の自民党でさえ、それだけの議席を両院で占めることは困難であった。換言すれば、憲法改正に関しては、与党が単独で押し切るということは難しく、与野党の前向きな協調的歩み� �りが必要だということだ。野党が歩み寄りを見せるためには、やはり世論の強い後押しが必要であろう。その意味では、ここ数年、世論は憲法改正に前向きになってきた。自衛隊の活動や国際情勢の変化とともに第9条の解釈が限界に来ていることや、憲法に規定されていないが近年の社会情勢の変化とともに明文規定されるべきであるとされる新しい人権が増えてきたことなど、現行憲法をそのまま維持していくには限界があると、認識されてきたのだろう。国内で改憲ムードが高まっていることは確かである。このような世論を受けてか、現在は自民党はもちろん、野党の民主党も憲法改正の必要性は認めている。国会もゆっくりではあるが、憲法調査に動き出してはいる。後は、改正案をどのように仕上げてい� ��かであるが、そこでは与野党の対立が予想される。GHQ主導で作成された日本国憲法が60年以上のときを経て、日本人の手によって修正が加えられるのか、今後の国会の憲法改正に対する動向や世論が注目される。



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